原体験を再インストールする
時代が令和に変わり、不思議なほど、和やかなムードに包まれた10連休のゴールデンウィーク。一つの時代が終わり、新たな時代に変わるということが、こうも明るいものだとは思ってもみなかった。それだけに、原稿の締め切りに追われている自分に少しばかり腹が立っていた。街に出て、時代が変わる時の空気を確かめることができなかったのは、今でも心残りではある。
だが、それ以上に、ゴールデンウィーク中に必ずやりたいことがあった。いや、やらなければいけないことがあった。それが、山登りだった。
前述の垣原賢人さんの取材を通じて、僕は、自分の記憶の中にある幼少期の原体験を、大人になった今、改めて追体験する必要があると感じていた。
僕が育った埼玉県の幸手市は、関東平野のほぼ中心部に位置し、いまでも美しい田園風景が残る地域だ。だが、近年は宅地化が進み、田んぼや森林も徐々に減ってきている。僕が過ごした幼少期は、田んぼの中にも小さな森や林が点在していたし、いま以上に自然に囲まれた地域だった。
僕は小学生の頃、自宅から自転車で40分ほどかけたところにあった森に、毎日のように通っていた時期があった。夏休みのある日の夕方に、友達と森に出かけ、果物をたくさん詰めた仕掛けを木にぶら下げて帰宅する。翌朝、あたりが真っ暗なうちから家を出て、一生懸命に自転車を漕ぎ、その森を目指した。懐中電灯を片手に、草木をかき分けながら森の中に入り、仕掛けたクヌギの木を探す。湿気を含んだ空気が顔にまとわりつき、草木が生い茂った独特の匂いが鼻を刺激した。目的のクヌギの木にたどり着き、恐る恐ると手にした懐中電灯をクヌギの木に向けた。その光の先に、浮かびあがってきた映像こそが、僕の原体験だ。スズメバチやカナブンや蛾など、たくさんの昆虫に混じって、カブトムシやクワガタが蜜を吸っている。甘い蜜に群がったたくさんの昆虫に圧倒され、僕は、「うぁーっ!」と声をあげて興奮したことを、いまでも鮮明に覚えている。
大人になったいま、なぜ、山を求めたのかは、自分でもよくわからない。ただ、僕の少年時代の遠い記憶を鮮明に呼び覚ませば、自然と共生し、自然を愛していたあの頃の自分を取り戻せるのではないかと思ったのかもしれない。
とにかく僕は山に入る必要があった。昆虫を採取するためではなく、あの独特の匂いをもう一度、僕の体内に取り入れる必要があったのだ。
かくして、僕は5月2日の晴れた日の朝、栃木県の益子市にある小さな里山に向かった。
目的の山に着くと、すでに何組かの登山客が山に入っている様子だった。昨今の登山ブームのためか、登山道はそれなりに整備され、草木を嗅ぎ分けて登るようなところはほとんどなかったが、独特の青臭い匂いと湿気をまとった空気を全身に受け、ウグイスの鳴き声や小川のせせらぎを耳にしながら、山での時間を過ごした。
登山の途中、林業に携わる人が、チェーンソーで木を切っている音が聞こえてきた。おそらく間伐をして、山林の維持をしているのだろう。いまでもこの里山では、動物や昆虫や野鳥など、すべての生命体は「人の手が加わった環境」で生きている。つまり、人間も生態系の一部として機能しながら、里山を利用し、その自然環境が維持されているわけだ。
僕は、里山の中で、人と自然が共生しているこの場所には、まだ絶妙なバランスが存在していることを知った。
この環境が壊されるのはどんなときなのだろうか。
現在、僕が幼少の頃に通っていた幸手市の小さな森は、切り崩されて宅地になっている。