批判を浴びたタイトルは正しかったのか
ITメディアで掲載された荻野忠寛さんの記事がヤフーニュースなどの媒体にも配信され、多くの方に読んでいただいた。
「戦力外通告」というキーワードが与えられた中での取材だったため、ネガティヴな印象を与えないかを心配していたが、人生において「戦力外通告」は早かれ遅かれ誰でも直面するものと捉え、読み手の方には、どうやって過去を未来に繋げるのかを伝えられたらと思って執筆した。
だが、結果的には、記事の内容はともかく、掲載されたタイトルに関して、ヤフーのコメントやツイッターなどで、批判をいただくことになってしまった。
記事のタイトルの付けられ方
実は、僕の原稿案のタイトルは「戦力外通告の先にあるもの」だった。
これが媒体側との編集作業によって変更されたわけだが、僕はこれを媒体側のせいにするつもりは一切ない。
僕は、編集作業のやりとりの中で、編集担当者が「戦力外通告の末路」という表現に変えたことには気づいていた。多くの人に届けるためだという意図を汲み取り、それを僕も受け入れた上で、記事は掲載された。また荻野さんもその意図を掲載前から汲み取ってくれていたし、報道媒体の特性やジャーナリズムについては、荻野さんと密に会話して、受け入れてもらっていたと思っている。その時、「さすがはプロ野球選手、メディアとの付き合い方が洗練されているな」という印象を持ったのを覚えている。
とはいえ、荻野さんのことを書かせてもらった記事だし、僕の名前で記事を世の中に出す以上、やはりタイトルにも、自分の意思を出さないといけなかったのかもしれない。でも、最初の原稿案の通りに掲載したら、そこまで読まれなかった可能性は高いだろう。だから、今でもどちらが正しかったのかはわからない。ただ、僕は、荻野さんとの取材を通じて、世の中で知られているような戦力外通告の悲壮感漂う内容にはしないことだけは決めた。テレビで出回っているような作られたドラマではなく、事実に基づいた記事を書いたことだけは、報道に関わるものとしての僕の正義だった。
そんな経緯を経て掲載された記事は、結果的に、タイトルと記事の内容に相違が生まれてしまい、ヤフーのコメント欄で叩かれることになった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00000022-zdn_mkt-bus_all
いま考えても、「末路」と言うタイトルの表現は、記事の内容とは合致しておらず、決して適切だったとは思っていない。しかし、僕を担当してくれている編集者は、僕の原稿の内容に手を加えることはほとんどなく、書き手としての個性を最大限に活かしてくれた。一緒に仕事をする上でも、良好な関係を築かせてもらっている。多くの人に記事を届けるために、一緒に頑張っている同志だ。編集者や書き手が、「多くの人に記事を届けたい」と願う以上、このような葛藤は、今後も続いていくのだろう。
幸いなことに、荻野さんの取材はまだ続いている。今回のことを経験し、次に向けてまたチャンスがあるというのは、とてもありがたい。
時に自分の意思とは反対方向に転がってしまうこともあるが、「スポーツをスポーツから遠い人にスポーツを届ける」「スポーツを超えたスポーツの活動を届ける」といった自分なりのポリシーや、記事に宿す精神性だけは大切にして、これからも執筆を続けていく。